スタンフォード日本センター
コラム English
 
おかえり。
中村伊知哉
スタンフォード日本センター所長 


 遠く比叡の頂が雪にけぶっている。手前には大文字がせり出している。
どちらも小学生のころ遠足で毎年のぼった山だ。
20年ぶりのふるさと。大学を出てから、あちこちふらふらして、戻った。
その間、全てが変わった。私も、世間も。

 しかし、センターの窓から望む東山は、何も変わらず、どっしり構えている。
「おかえり。」
山の腹から、木々の奥から、しっとりした声が聞こえる。私には、聞こえる。
千年、いやそのずっと前から、私のようにふらふら足下へ戻り着いた連中に、そう静かに声をかけてきたに違いない。
おおきに。

 ふるさとは、すっぱい。少しばかり痛快で誇らしい思い出があっても、負けてくやしい思い、しくじって恥ずかしいできごと、届かなくてもどかしい経験、そんな強い記憶が発酵して、こびりついている。
ミュージシャンになることをあきらめて飛び出して、東京で役人になって、パリでスパイのようなことをして、ボストンで研究者のようなことをして、そんな不肖の息子には、実家の敷居は高いものだ。
でも、戻ってみれば、ふるさとは、ふるさとだ。
「おかえりやす。」
おおきに。

 まあ東京は京都の弟分だし、パリもボストンも姉妹都市だ。親戚をたらい回しになっていただけなのかもしれない。
しかしその間ずっと腰のあたりが落ち着かなかったのはなぜだろう。東山を眺めて思う。きっと、東京にもパリにもボストンにも、山がなかったせいだ。青。緑。黄。赤。季節ごとのいろどりが織りなすたたずまいが自分のリズムを形づくっていたことに気づく。

  ここには、千年、いやそのずっと前からはぐくまれてきた色彩と、コミュニケーションがある。片やここは、世界に伍すハイテクベンチャー企業が暴れ、超ポップな表現を生む過激な町でもある。その力を活かし、そしてその力を得て、私も動き始めないといけない。そっとこぶしに力を入れてみる。

 窓から下をのぞくと、ダチョウが三羽、のっそりと歩いている。センターの隣は動物
園なのだ。檻を隔てて、私を見上げている。
「そない気張らんときよし。」
おおきに。