スタンフォード日本センター
コラム English
 
中国の産学連携に思う
谷川 徹 
スタンフォード日本センター リサーチフェロー
九州大学先端科学技術共同研究センター 副センター長/教授


 昨年の夏シリコンバレーから帰国し九州大学で産学連携の仕事をしている。来年に迫った国立大学の法人化を前にして、九州大学でも社会貢献の推進と経営基盤の強化、大学としての競争力強化の観点から、特色ある産学連携の仕組みやプロジェクトを検討中である。特に日本の中でアジアに最も近接する九州に立地する九州大学は、「アジアとの連携」をキーワードに新たな方向性を模索しているが、そのような状況下中国の大学の産学連携システムを学ぶ機会があった。国際的にも有名な北京の清華大学、上海の上海交通大学などである。この1年弱の間に両校を数回訪問する機会があり幾つか感ずるところがあった。今回はこの経験で感じたことを書きたい。

前者は、先頃開催された中国共産党大会で次代総書記胡錦祷他、中国政府幹部として数人のOBを送り込むことになり、また後者は現江沢民国家主席の母校である。中国でもトップエリート校であると同時に優れた理工系大学である。シリコンバレー等サンフランシスコ・ベイエリアには、清華大学のOBだけで約4千人居住していると言われ米国の経済発展を支える人材供給源でもある。
 元来共産主義国中国には、技術の研究・開発を行う存在が国家機関(科学技術院等)と大学(厳密には大学も国営機関)しかなく、先進国であれば企業部門が保有する研究開発機能は、企業という存在が国営企業や一部の弱小民営企業等しかなかった中国では期待すべくもなかった。従って中国における技術の源としての大学の位置づけは極めて重要なものだったのである。一方いわゆる改革開放が始まった80年代以降、国家財政逼迫により大学への国からの財政援助は減少を続け、大学は自ら収入の道を確保せざるを得なくなった。そこで多くの大学は付属の企業を設立、その企業からの収入を新たな財源として大学経営を行ってきた。必ずしも大学技術の応用とも限らないが、インテリの集まりとしての大学がビジネスを起こすのは当たり前のことであった。校弁企業と呼ばれるものがそれである。

清華大学には多くの校弁企業が存在し、中でも1997年に清華大学傘下の4企業が合併して発足した清華同方有限公司は同年中に上場を果たし、現在1千億円近い売り上げを有する大企業である。このように企業を大学が経営する事は過去20年程の間により一層一般的になっている。従って中国において大学が企業のように活動する事は不自然なことではなく、産学連携という概念を議論するレベルを超えている。もとより企業と大学の区別の概念が薄い気がする。大学の教授がベンチャーキャピタルのトップを兼任していたり、創業企業の社長を兼ねたりするのも不思議なことではないのだ。

現在清華大学の隣には25haの広大な土地に延床面積70haの近代的なオフィス研究ビル群が2005年の完成を目指して建設真っ盛りである。内外から次々に舞い込む清華大学との共同研究などのニーズに応えるためや大学技術、大学人の企業を育成するために清華大学が開発を行っているのである。大学の説明では既にマイクロソフト、オラクル、IBM、サンなどをはじめ既に200社を越える外資系企業の入居が決まっている。中国市場への参入と技術の現地化を行うための共同研究が主要テーマと言われている。その壮大さ、凄さには度肝を抜かれる。更には大学の商売熱心さ、洗練され具合にもである。大学付属のサイエンスパーク(科技園)の宣伝をさんざん聞かされたが、説明者は清華大学OBで政府の役人とオーストラリア留学経験のあるスマートなビジネスマンであったし、説明も流暢な英語であった。ついでに言えば訪問者の多さからか一回3万円の説明料が必要であった。

このように中国のトップレベルの大学は産学連携という言葉では言い尽くせない様々なビジネス活動を行っている。それは資本主義国における企業という存在がほとんどなかった中国独特の社会経済的背景に依拠しているのだろう。資本主義国において企業が行う活動と同等のことを中国では長らく大学も行ってきたのだ。従って大学が付属の企業を作るのも、ベンチャービジネスを起こすのも企業の行動と考えれば合点がゆく。基礎技術の研究も応用分野の開発研究も全て大学が中心にならざるを得なかったのである。特に多くの分野において未だ十分な技術蓄積が進んでいない中国においては、基礎研究もさることながら手っ取り早く役に立つ応用分野の研究開発が大学に強く求められている。外資が中国の大学と共同研究を積極化しているのも、そういった先進諸国の基礎技術をベースにした中国市場向けの製品開発など応用分野が主である。逆に言えば自国、自社に基礎研究分野の技術蓄積のある先進国企業にとっては、応用分野での産学連携に熱心な中国の大学は、中国市場開拓の観点からも大変有用なのである。

一方米国の大学はと言えば、経営的自立が求められている事もあり、大学の研究、教育が社会に貢献するものでなければならないという意識は中国と同じである。社会的価値のある研究を行う存在として政府や企業から研究委託を受けたり、実戦的かつ高度な教育を提供することで優秀な学生を集めかつ企業からも信頼を得たりして資金を確保するのである。競争的環境があること、成果主義が徹底していること、大学が生み出す成果の社会的評価により経営の善し悪しが決まる仕組みであることが特色である。中国との違いは、スタンフォード大、ハーバード大など研究大学と呼ばれるトップクラスの大学の研究が、相対的には基礎研究に重きをおいていることであろう。政府の出来ないこと、企業がやれなくなったことを大学が担っている。成熟した経済のアメリカと発展途上の中国の産学連携分野において、大学の役割が違うのは当然である。しかしながら社会のため地域のために大学が存在し、自らが社会的価値を創造しなければ存続できないと言う認識は一致している。

大胆なまでにビジネスに熱をあげる中国と違って、アメリカの大学は本来職務への専念義務など法令遵守のあり方が議論になって久しいが、産学連携の歴史が長く成熟した経済のゆえであろう。いずれにせよ明確なことは、中国もアメリカも社会・経済における大学の位置づけ、重要性が極めて高いことである。大学の存在無くして彼の国の発展は考えられなかったと言って良い。
翻って我が日本はどうだろうか。産学連携が叫ばれて数年以上が過ぎ、国立大学の法人化も後1年足らずになった。アメリカや中国と比べるのはやや酷であるが、徐々に我が国の大学も社会の目を気にするようになってきた。私立大も国公立大も目の色が変わり始めたのは間違いがない。しかるに未だ新しいパラダイムへの変換を嫌い、産学連携の“負”の部分をことさら言い立てる向きも多い。今のままでは大学が無くても日本はさして困らないかも知れない。アメリカ同様成熟した経済の日本においては、大学がより社会の期待に敏感にならなければ存在意義はない。中国のように研究開発を大学にしか頼れない社会ではないからである。九州大学という国立大学に身を置くことになった私であるが、産学連携の一層の意義を感じる今日この頃である。