スタンフォード日本センター
コラム English
 
アニメ、マンガ、映画から、歌謡まで。芸能の島・沖縄
小野打恵
スタンフォード日本センター リサーチフェロー
(株)ヒューマンメディア 代表取締役社長


1.3本の映画と3世代の歌
2003年の夏、沖縄発の映画が3本公開された。中江祐司監督の「ホテル・ハイビスカス」、「白百合クラブ東京へ行く」、青山真治監督の「あじまぁのウタ」の3本で、いずれも沖縄の音楽と深い関わりを持っている。「ホテル・ハイビスカス」に出演している登川誠仁、大城美佐子、照屋政雄などは戦後すぐに民謡を歌い出した、最年長の世代の歌手だ。白百合クラブも同じ世代で、別の仕事を持ちながら芸能を続けてきた伝説の楽団。これに対して、「あじまぁのウタ」で天上の歌声と評された上原知子は戦後世代。民謡出身の彼女の歌と、その夫で、戦後の沖縄芸能の担い手の照屋林助を父に持ち、ロックと沖縄音楽の融合を目指す照屋林賢の音楽による「りんけんバンド」は、喜納昌吉などと並び、沖縄POPを世界に紹介した存在だ。そして「ホテル・ハイビスカス」でケンジにいにいを演じた、ネスミスの世代、いわば復帰後世代としては、昨年ヒットした元ちとせ(奄美出身だが)、ビギン、モンゴル800など多彩なアーティストがいる。もちろん沖縄アクターズ・スクール出身の安室奈美恵、SPEED、MAXなどJ-POPを担ったアイドルたちも忘れられない。

2.マンガ、アニメ、怪獣など日本のPOPを生んだ島
沖縄音楽については時代をこえて多くが語られている。琉球王朝の歌舞による接待、明冶以降の歌や踊りと一体のコミュニティ、今も民謡酒場やレコード・レーベルが残る独特の音楽市場、戦後の米軍によるアメリカ文化の影響・・・。それはすでに1地域の伝統文化の域を越えて、世界的にはアメリカ・アトランタのオリンピックで極東の民族の代表のひとりとして喜納昌吉が歌い、国内ではモンゴル800がインディーズ・レーベルによる初のミリオン・ヒットアルバムを発表するまでの力を持っている。歌だけではない。時代はずっとさかのぼり1917年、日本で初めてマンガ映画をつくったのは、宮古島出身で、7歳のときに鹿児島へ、9歳で東京に移った下川凹天(へこてん)というマンガ家。彼のつくったアニメは、外国産のアニメ技術に対し独自に考えた方法のもので、結局、普及はしなかったが、その後も岡本一平らと新聞マンガの仕事を続け、日本アニメが黄金期を迎える1973年に83歳で故人となっている。また、日本が生んだ怪獣シリーズ、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンのシナリオも、沖縄本島出身の金城哲夫の手によるものだ。彼は本土復帰とともに沖縄に帰り、沖縄芝居の脚本、海洋博のセレモニーの演出など手がけたが、その翌1976年、38歳にして事故で他界した。故・竹中労などが、積極的に沖縄民謡、沖縄POPを本土で紹介し始めるのと同じころだ。

3.奥深い芸能市場
このように沖縄発の音楽は、日本の音楽市場の何割かを占めるほどになっており、世界的にも注目されている。音楽だけでなく、アニメや怪獣モノにもその血が流れている。沖縄アクターズ・スクールから多くの才能を送り出して有名になった牧野正幸氏が、戦前・戦後の日本映画に名をはせたマキノ一族出身で、映画とのかかわりが深いのも因縁めいた話だ。しかしもっと驚くべきことは、沖縄自身の芸能市場、正確には芸能社会というべきかも知れない、その深さである。冒頭の中江祐司監督に前作「ナビィの恋」の沖縄での興行結果を聞いたところ、人口約130万人のうちなんと18万人が見たという。しかもその方法は、那覇以外では、監督自ら映写機を担いで村むらを回る巡回自主上映方式。これによって得られる興行収入のうち約8割を監督のもとに回収したということだ。いわゆる配給収入として試算すると、約2億円を超えることになり、大手の日本映画の製作費と同じだけの資金が得られたことになる。日本映画の多くは2億円かけて作ると10億円の興行収入、つまり約80万人の動員が必要とされ、テレビ放映、DVD出版で補っても赤字の映画が多いのが現状だ。「ナビィの恋」は老若男女の共感を得たヒット作とはいえ、もしかすると製作費1億円をこえる大作が、人口130万人、日本全体の約100分の1の島の中だけで成り立ってしまうような、沖縄市場、沖縄社会の可能性を示しているのだ。恐るべし、芸能の島・沖縄、である。