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| 政治活動の現在、将来 |
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| 中
港 拓 スタンフォード日本センター リサーチフェロー 政治行政コンサルタント |
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| 政治に直接縁のないファミリーの私が、昨年、選抜を経て、衆議院議員総選挙に出馬させて頂いた。良い結果を出せず本当に残念である一方で、大変厳しい選挙区事情においてご支援ご声援頂いた方々に深く感謝申し上げます。選挙結果などについては別の場で省みることとして、本稿では、政治活動をやってみてそして一旦身を引いた者の眼で、選挙や政治活動について気が付いたことを少しだけ述べたい。 「選挙は候補者の名前を有権者に書いてもらう闘いであり、政策を戦わせる場にはなっていない。また、候補(予定)者や若手議員の政治活動の最大の目的は小選挙区選挙での勝利に繋げることである。」という現実を自分なりに感じ、これらはまあ自身の理解の範囲内である。しかし、「う〜ん、選挙、もっと言えば政治活動って何だろう?こんなことをする必要があるのか?有権者はこんなことを望んでいないんじゃないか?こんなことをしていて政治や国・地域が良くなるのか?」という率直な疑問は頭から離れなかった。 まずは、夏の盆踊りや秋のお祭りなどを回ることである。もちろん、選挙区の人々とお付き合いする中で、候補者や議員が人柄を理解してもらいながら、民意を充分に汲み、また政治の方向性や政策を訴えかける必要があることに全く異論ない。 しかし、同じ日の2、3時間の間に(ピーク時には同時に15を超える)別々の場所での催し各々(つまり全て)に挨拶に伺うものとされている(雰囲気である)、もちろん現実には移動時間もかかるため全部は不可能なのであるが。夏と秋各々3、4週間もの土日祝祭日の間同様である。一つ一つは非常に短時間であるもののコミュニケーションの一環として意味無くは無いが、お祭りの際に“政治”を望まない一般市民も多いので挨拶回りがその場の楽しい雰囲気を壊さないように留意する必要もあり、また、とてもではないが政治や政策の話はできようがない。 候補者や議員が義務感を持って全部顔を出さなければならないのでなく、各人の何らかの予定や考えがあって活動しているという前提意識を関係者が共有して、当人が来たら、場の雰囲気を壊さない範囲で(歓迎しつつ)人柄も含めコミュニケーションを図る、という悪く言えば曖昧な、良く言えば適度なバランスある空気もあっていいと思われる。 また、今や非常に一般的な“朝立ち”―早朝の駅前などでの演説や挨拶―である。通勤者と効率良く顔を合わせられる早朝に自身の訴えをすることには肯定的要素もあろうし、聴いているいないという問題は早朝(他の時間帯よりも聴いていない人の割合は高いようにも思われるものの)であれ何処で何時であれ起こる。しかし、早朝やっているイコール「頑張って政治に取り組んでいる」と言う人がいるが、果たしてそうだろうか?むしろ、朝は突っ込んだ政策の話が求められず、頑張っているどころか楽をすることさえ可能なのではないか?実質的には、朝立ちは、コミュニケーションという意味合いに絞られると言っても良いだろう。「毎朝やってます」と言うのは、「頑張っていると思われたい」、また、「その頑張っているというアピールを毎朝やっている」という意味であると言っても言い過ぎではない。 もっと言えば、このアピールによって、本来なすべき政策実現がうまくできていないのを誤魔化すこともできると思われる。もちろん、政治において、アピールを含むパフォーマンス全てが悪であるとは言わない。しかし、有権者や納税者が政治及び行政に求めなければいけないのは、「頑張っている姿」そのものではなく「客観的な成果」である。人々に期待を抱かせるパフォーマンスは付属品であり、人々の期待を完全に満たす成果が必要品本体・本筋である。 この意味では、同じ“毎朝”でも、新人の時でさえも「毎朝やっている」という形自体はアピールしない方がいいのではないか。本体を理解してもらいたいのであれば、付属品を強調し過ぎない方がいいのではないか。実際には、毎朝なら毎朝決めたとおりやり、本当に政策や政治理念を訴えたい時には、土日や平日昼あるいは夜も含め都合の良いかつ通行者や近隣住民などに迷惑にならない時間帯及び場所でたっぷり演説する。あるいは、内容ある印刷物を制作し配布する。このようなことを繰り返し行うことにより、民意を汲み国の方向性や具体策を国民に理解してもらい、本筋である政策実現に繋げていくことが必要ではないか。 現実には、組織力も含めたマメな活動、そしてアピール・パフォーマンス合戦によって議員が選ばれていることが少なくない。その結果、「時代の変わり目で先行きが見えない今、国や地域をこういった手法でこういった方向に導いていかねばならない、だからこの法案が必要である」というような、本筋である具体策のみならず、そのベースとなる、やはり本筋である、国を担う政治家ならではのグランドデザインや時代認識も置き去りにされがちである。 国として致命傷にならないうちに、やはり国を引っ張っていくに相応しい知見を備えた政治家が増えること。これが何よりも国民の幸福に繋がっていくと思う。逆は、国民の不幸に直結する。挨拶回りや駅頭演説なども必要である一方、政治家は自身の知見をもとに政策立案及び実現により税金分もしくはそれ以上に目に見える成果を出していかなければいけない。国、地域、そして世界・地球の現在そして将来は、国会議員にかかっている。 |
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