スタンフォード日本センター
コラム English
 
ポップと古事記
今井 賢一
スタンフォード大学名誉シニアフェロー・一橋大学名誉教授


 私は「古事記」について強烈な想い出がある。最近、日本のアニメやゲーム、あるいはポップ一般が世界で歓迎されているという話を聞くたびに、その古事記についての挿話を想いだす。それがポップとどうつながるか、最後までお読みいただきたい。
 それは、こういう話である。たしか1994年の厳寒の頃に、私と他の数名の経済学者が経済同友会の仲介で、社会主義から市場経済に転換したポーランド政府に頼まれて、日本が第二次大戦後に財閥の解体などで市場経済への移行に成功した理由を説明に出向いた。
 そのときの食事中に、ワルシャワ大学の教授が日本の「古事記」のポーランド語訳を話題としたのである。なぜ、その話題が出たかというと、当時のポーランドは食糧不足といわれ、日本からも食料援助をするという話が持ちあがっていたので、私が「食糧事情はどうなっているのか、日本から送るとすれば、どんなものが望ましいのか」と質問したところ、答えは意外にも「いや、食料は皆かなり自給しているので、それほど困っていない。お願いしたいことは、別のことだ」というものだった。確かに、その前日にわれわれは彼らの暮らしぶりを紹介され、郊外に小農園をもって野菜などを作るだけでなく、休日には近くの森にハンティングに出かけ、野鳥や鹿などを捕獲し、その農園の小屋に保存しているので、手間暇はかかるだろうが、健康的な趣味をかねて実質は豊かなのだと感じていた。だから食料自給の話はすぐに納得できたので、「お願いしたい別のこととは何ですか」と聞くと、日本の「古事記」の素晴らしいポーランド語訳を完成し、出版したことに対して、日本政府から「有難う」というお礼の言葉を聞きたいというのである。
 たまたま、われわれがワルシャワに滞在していたしばらく後に、当時の海部俊樹首相が食料援助を携えてポーランドにみえることになっていた。私は海部さんには伝手があったので、その当然ともいうべきお願いを伝えることを約束したところ、相手の教授は口ごもりながら何か言いかけたのだが、この話は止めた方がよいという顔をして頭をふり、別の話題に切り替えた。そのときは別に気にならなかったのだが、後で同席していたポーランド滞在の日本人の経済学者が、多分あのことを言いたかったのでしょうと、こういう裏話を教えてくれた。その「あのこと」とは、かつてポーランドの要人が日本を訪問した際に天皇陛下(昭和天皇)との拝謁があり、その要人は私の国から日本への大事な「おみやげ」でございますと言って「古事記」のポーランド語訳を謹上したところ、陛下は「あ、そう」と応じただけだった、という話である。(ただ彼も間接に聞いた話だというから真実は定かでない)。私の世代の日本人なら、すぐ納得のゆく話しだが、外国人にとっては、大切なものを差し上げたのだから、もう少し何か言っていただきたかったと思うのはもっともである。
実際、「古事記」を外国語に翻訳するということは、気の遠くなるような大変な仕事である。なにしろ、あの本居宣長が30数年の歳月を費やして注釈を書き、その注釈すら岩波文庫で全6冊という代物である。私ごときは、まあ眺めるという感じで、読むことすら困難である。ところが、その古事記のポーランド語訳がなんとポーランドで5千部売れたというのだから、全くの驚きである。ヨーロッパの知識層は底が深いと思うと同時に、社会主義化で政治経済が窒息している間に、技術革新などに向かうべき人間のエネルギーが文化や歴史の深堀りに注がれたのだと考えるべきだろう。
 本稿のはじめに述べた問題に戻れば、日本のポップ、あるいはいわゆる「クール」全般も経済が10数年も停滞していれば、地底から熱が噴出すように現れてきたものであろう。そして、そのエネルギーは古事記まで遡らなくとも、十数世紀以上にわたる日本文化の栄養素と、どこかでつながっているのだと思う。「千と千尋」が世界で評価されたのも、その栄養素があったからではないか。もっとも、そういうことをあまり言い出すと、ポップはポップでなくなり、純文学のようにエネルギーを失うから、私はそれ自体の議論は好まないが、経済と文化の新結合を考えている者としては、経済や文化の根底にあるものを見据えてみたいという気持ちが強い。その意味で、ポーランドでの話はいまでも強烈な教訓として想起している。