スタンフォード日本センター
コラム English
 
味噌煮込みうどん
堀田峰紫子
スタンフォード日本センター Language Teacher


 大きな座敷机を指して義母が「それちょっとつってちょうだい」と言った。
「えー、どこに掛けるんですか」驚いている私の反対側に立って、義母は机の端を持って待っている。名古屋では物を持ち上げて運ぶ時に「吊る」と言うが、Made in 西宮の私にはちょっとしたカルチャーショックだった。その後も
「まめに(=元気で)過ごしてちょ」、「まわし(=用意)できた?」、「家の子はおうちゃくい(=いたずら)んだわ」など、単語は同じなのにそれまで私が使っていたのとは意味が違う言葉に出くわし続けた。そしてその度に自分の語彙リストを名古屋版に更新しているうちに、30年が過ぎ、名古屋に帰るとほっとするようになった。
 しかし未だに名古屋名物「味噌煮込みうどん」を食べる時、「おいしい」と思うのに緊張して食べている。正統「味噌煮込みうどん」は「八丁味噌」を溶いたかつおの出し汁の中で、初めて食べる人は絶対「このうどんは生だ」と文句を言いたくなるぐらい固いうどんが、細く切った油揚げ、ネギと共に一人用の土鍋で煮込んで出される。
                  
 私の結婚後、初めて名古屋に遊びに来た実家の母と「味噌煮込みうどん」を食べてみようということになった。味はいいのだが、母も私もその汁の色、味の濃さ、うどんの固さが口に合わず半分も食べられなかった。それ以後10年かもっと、私は「味噌煮込みうどん」には近づかなかった。
 所が、ある冬の寒い日、おうどんでも食べて体をあたためようと入った店が、気がつけば「味噌煮込みうどん」専門店だった。店の人は伝票片手に注文を待っているし、「出ます」とも言えず覚悟を決めて「親子味噌煮込み」(鳥肉と卵が入っている)を頼んでみた。歳月が味覚を変えたのか、印象の悪かった味噌煮込みがなんと「お・い・し・い」のである。それをきっかけに私は味噌煮込みうどんを食べるようになっただけでなく、今では食べたいと思うときさえある。 
 しかし、私は八丁味噌を使った他の料理、例えば「味噌おでん」「味噌かつ」「どて鍋」などは今も遠慮したい。ある店の「味噌煮込みうどん」なら食べたいが、それ以外の店で食べてみる勇気はないし、もし食べて「まずい」と思ったら「味噌煮込み」が嫌いになりそうな気がする。だから私は今も緊張して食べているのだろう。その土地の言葉、風習、人づきあいには慣れていっても、子どもの時からなじんだ好みの味は、許容範囲は広がっても一生変わらないのかもしれない。東京と大阪の間にあって、どちらからの影響も受けている都市のようなのに、名古屋独自の味噌の味が今も変わらず受け継がれているのは、大げさに言えば味覚が一番不変だという証明かもしれない。
 因に、周りの人の話しでは一度「味噌煮込みうどん」の味にはまると、無性に食べたくなる人は多いそうで、出張で名古屋に来たら必ず食べて帰るとか、メールオーダーで取り寄せている人も結構いるらしい。関東の人は特にこの濃い味が好きなようだし、私の経験ではアメリカ人も好む味のようだ。センターの学生が私の家に遊びに来ると必ず一緒に食べに行くが、今のところその全員が「おいしい」と言う。中には汁を全部飲んでしまう強者さえいる。
 これを読まれて、「味噌煮込みうどん」を食べて、ご自分の味覚の幅に挑戦してみたいと思われる方があったら、どうぞ名古屋にお出かけください。私が御案内いたします。ということで、「御無礼いたします」(=失礼します・さようなら)